大昔から議論されている問題だと思います。
私自身、その答えはまだ定まっていません。
保育園に9時→18時まで預ける身としては、
”3歳のこの時期に、こんなに預けたままでいいのかな。。。”
と一日何度かは頭に浮かびます。
早期教育の必要性、その前に早期教育とは何か
私なりに解釈してみました。
Wikipediaによりますと・・・
早期教育とは
’子ども本人の意向ではなく、大人の意向により・・・”
と、あります。
ここでは、日本で進学するにあたって3歳の息子が必要とされる早期教育、について書いてみたいと思います。
まだ社会経験の少ない幼児ですから、
”本人の意向”をうかがうにも選択肢も少なく、
意思表示もままならないことから、大人が導き出す必要はわかりますが、
一方で”本人の意志とは無関係で”強制することは避けたいところ。
それが早期教育のでデメリットともいえるのでしょう。
さて我がや。
放っておくとずーっと電車や新幹線で遊んでいます。
サランラップの芯、ティッシュの箱、廃材をつかって
電車の線路にみたてたり、坂道をつくったり。
その様子も息子なりの創造力を養うことにつながると、
心強くみているのですが・・・
何か、物足りない。
そう。親である私自身が”やってる感”を求めてしまうのです。
3歳で文字が読めるし、書ける、一人で本が読める、
足し算ができる、習い事をたくさんならっているなどスーパーキッズたちの活躍を知ると、
”焦って”しまうのです。私が、勝手に。
比べなきゃいいじゃん、見なきゃいいものを、と自分ツッコミをいれるも
Instagramをみるたびに、勝手に比較してしまったり。。。
本を読む、好奇心を育てることは早期教育以前に大切にはぐくんでいきたいとはおもうのですが、
それ以上のことはできていないのが現実です。
焦る自分と対峙するとき、
私にできる唯一のことは、
”今日、息子に写る自分はどんな自分であったか”
この点だけ振り返ることにしました。
早期教育に直接関係するわけではありませんが、
平日は毎日出勤で、息子とは限られた時間のなかでしか過ごせないそんなときは、
彼にとってどんな人間に写っていたかを意識すること。
子どもの月齢がまだ小さければ小さいほど、
目に映る世界は、ほぼ養育する者の姿になるとおもうのです。